作者不詳の肖像ⅱ/ストーカーの希-An anonymous portrait-
2012.12 530×333mm(M10) 作家所蔵
むすめはさっと顔を赤らめた。しかし顔全体が赤くなるのではなくて、
小指の爪ほどの赤い斑点が一面にひろがるのだった。
それと同時にむすめは右手の指を、赤いリボンとともに二人の顔の間につき出していた。
眼を閉じて、瓶の口を吹くような音をたてながら、静かにリボンを吹きつづけるのだった。
幾度も喉元までこみ上げてくる心臓を飲みくだすために、息をとめなければならなかったが、
それでもむすめは火に包まれた頭の中で、愛の囁きが成功したことを信じるのだった。
自分の唇からアルファベットを書きこんだ真紅のカードが舞い上がり、様々に組み合わさって
若者の胸に流れ込むのを見たように思った。視覚でしか言葉を考えることができぬ彼女は、
そんな具合にしか考えられなかったのだ。
なるほどリボンは美しかったので、若者は最初声をたてて笑ったが、すぐに笑いやんで、眉をひそめた。
困惑の表情が恐怖に変り、若者は啞むすめの発狂を告げるために、後も見ずに駆け出していた。
苦笑しながらそれを見送ったつむじ風は、むすめがなおも固く眼を閉じて、いつまでもそのリボンを
吹きつづける様子に呆れながら、しばらくそこに立っていたが、ふとむすめの両の眼に涙が重く
あふれたのを目にすると、いまいましげに舌打ちをしてこう言った。
――これはまたなんていう不毛の土地だ。
阿部公房『啞むすめ』より
小指の爪ほどの赤い斑点が一面にひろがるのだった。
それと同時にむすめは右手の指を、赤いリボンとともに二人の顔の間につき出していた。
眼を閉じて、瓶の口を吹くような音をたてながら、静かにリボンを吹きつづけるのだった。
幾度も喉元までこみ上げてくる心臓を飲みくだすために、息をとめなければならなかったが、
それでもむすめは火に包まれた頭の中で、愛の囁きが成功したことを信じるのだった。
自分の唇からアルファベットを書きこんだ真紅のカードが舞い上がり、様々に組み合わさって
若者の胸に流れ込むのを見たように思った。視覚でしか言葉を考えることができぬ彼女は、
そんな具合にしか考えられなかったのだ。
なるほどリボンは美しかったので、若者は最初声をたてて笑ったが、すぐに笑いやんで、眉をひそめた。
困惑の表情が恐怖に変り、若者は啞むすめの発狂を告げるために、後も見ずに駆け出していた。
苦笑しながらそれを見送ったつむじ風は、むすめがなおも固く眼を閉じて、いつまでもそのリボンを
吹きつづける様子に呆れながら、しばらくそこに立っていたが、ふとむすめの両の眼に涙が重く
あふれたのを目にすると、いまいましげに舌打ちをしてこう言った。
――これはまたなんていう不毛の土地だ。
阿部公房『啞むすめ』より